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開設お祝い

 投稿者:mimi  投稿日:2018年 7月19日(木)00時34分56秒
  ゆずさん、群馬支部開設おめでとうございます。

いろいろな支部のブログがありますが、それぞれ、そこにあつまる方々からの雰囲気が伝わってくるようです。
楽しみです~。
 
 

群馬支部ブログ

 投稿者:群馬支部(ゆず)  投稿日:2018年 7月15日(日)00時17分13秒
  この度、群馬支部でブログを開設いたしました。
まだ始まったばかりですが、有志会員で一つずつ積み上げて参ります。
どうぞよろしくお願い申しあげます。

■契山館 群馬支部のブログ
今生きること いつか死ぬこと その先のこと
http://gumma.wp.xdomain.jp/
 

幽体の不調

 投稿者:はじめ  投稿日:2018年 7月12日(木)22時15分4秒
  『神体』が電子書籍になりました。

  是非お読みください。

http://www.amazon.co.jp/dp/B07FFFQPTR/

--------------------------------------------

 豪雨により被災された方、心よりお見舞い申し上げます。
 被災地の復興をお祈り申し上げます。


 最近の状況は本当に言葉に詰まります。
 多くの方が霊的な道を求めて欲しいと願うばかりです。


 ちょっと霊魂学「霊魂学の主張 霊障(霊的障害)編 2幽体の不調」です
   ↓↓

http://www.interq.or.jp/mercury/w22525/sagurutameni/01_07/reisho02.htm

 

霊魂との討論

 投稿者:はじめ  投稿日:2018年 7月 5日(木)15時57分43秒
編集済
   求め探し続け、やっと本物に出会えた時の感動は肉体を通り越してますよね。

 本物を見極める力は、求めることから生まれるのでしょうね。

 神体 - 偉大なる魂の生涯
 https://www.amazon.co.jp/dp/4865430725/ref=rdr_ext_tmb

 この書籍には本物と真実が詰まっています。
 どうぞ、見極めてください。

 ちょっと霊魂学は「霊魂との討論2 人類を救うには 第8回」です。
  ↓↓

http://www.interq.or.jp/mercury/w22525/reikai/touron/2_8.htm

 

本物を味わう

 投稿者:おはこ  投稿日:2018年 7月 3日(火)00時27分50秒
  なおいーさんの

音楽を究めるには、ひたすら本物の音楽に接すること。料理の道を究めるなら、本物の料理と接し続けること。

という感覚よくわかります。

芸術でも料理でも良い師を見つけることが一番大切なことですからね。

http://blog.livedoor.jp/direct3935/

 

契山館を知った時の思い(3)

 投稿者:なおいー  投稿日:2018年 7月 2日(月)02時31分17秒
編集済
  もう一つ、私が契山館と出会って迷ったことがあります。

当時の私は、修行というものは自力の自助努力で行うもので、自身のレベルにあった霊的存在の指導を受けながら、少しずつ霊的に向上するべきだと思っていました。

ですから、いきなり高級な幽気が満ちた空間に入ってその幽気を吸収したり、霊術で幽体の状態を改善するというのは、いわゆる他力本願と言うか安易な道ではないかとの迷いがありました。

このことに関する私が出した結論は以下のようなものでした。

人間は物質世界に生きながらも幽体を持った霊的存在なので、幽体の健康を保ち、その活力を高めるために、良質な幽気を吸収することが不可欠である。

しかし、現代においては、自然な状況で良好な幽気が存在している場所は皆無である。

であるならば、良好な幽気を吸収するには、高級霊魂の方に良好な幽気を降ろしていただくしかないが、神伝の法を行っていない人の幽体レベルでは、良好な幽気を降ろせる霊魂の方の視界には入らないので、その幽気を降ろしていただくことはできない。

そこで、まず特別な空間を作っていただき、その空間に入って、良質な幽気を吸収させていただくことが必要になる。

そもそも、降ろしていただかなければ、どこにもないものをいただこうとしているのに、自力でなどと思ったのは、誠に不遜で思い上がっていました。

霊術に関しても、同じような思いですが、自分自身で神伝の法を行じられるようになるまでは、他には幽体の穢れを祓ったり、幽体の健康状態を改善する方法がないわけですから、決して安易な道ではないと言えましょう。

それから、昔、このような話を聞いたことがあります。
それは、本物を知り、本物を究めるには?ということだったのですが、それには、ただひたすら本物に接するしかないと言うのです。

音楽を究めるには、ひたすら本物の音楽に接すること。料理の道を究めるなら、本物の料理と接し続けること。ということでしょう。

ですから、何を差し置いても、まず、契山館の集会等で、本物の高級な幽気に接し続けていけば、理屈を越えたところで、何かが分かってくるのではないかと考えています。

何が本物なのか?それは真摯に求め続けていれば、いざ本物と出会えた時に、何かを感じるものだと思います。

以上、私と同じような迷いを感じて、契山館の門を叩くのをためらわれている方がおられるかもしれないので、少しでも、それらの方のお役に立ちたいとの思いで、述べさせていただきました。

私の未熟さ故、水波霊魂学と合致しない記述があることと思います。ご容赦いただければ幸いです。
 

契山館を知った時の思い(2)

 投稿者:なおいー  投稿日:2018年 7月 2日(月)02時27分6秒
  ところが、水波霊魂学では、いくら愛の実践に努めても、それによって幽体が健康になったり、成長することはないとのことでしたので、正直な話、そんなはずはないと思いました。

しかし、水波先生のご著書を読み進めていくうちに、確かにそうかもしれない。肉体が病気になった時に、いくら愛を深めても、治療を受けなければ治らない。肉体の健康を維持するためには、適切な栄養摂取と適度な運動が必要であった。

ならば物質でないとは言え、幽体も身体であるならば、その健康を維持するためには、幽体にとっての栄養摂取と運動が必要なのはもっともだ。そして、その栄養摂取と運動に当たるのが神伝の法であるというのは納得できる。と思うようになっていったのです。

さらに考えてみれば、肉体脳の中でいくら愛を深めて、肉体意識の人格が高まっても、それによって肉体ではない幽体が成長したり、幽体意識が高まったりするわけではないのも、もっともでした。

もしも、物質世界にいるうちに、直接、幽体意識に働きかける方法があれば、人は肉体を持ちながら霊的に進歩することが出来るのかもしれません。でも、肉体を持つ限り、幽体意識が前面に出ることはないので、普通は無理だと思うのです。

でも、そのために降ろされた神伝の法のみが、その本来不可能なことを可能にすると思っています。

神伝の法は、物質界で肉体を持ちながら、幽体を鍛え、幽体意識を変えることが出来る、唯一の法だったのでした。
 

契山館を知った時の思い(1)

 投稿者:なおいー  投稿日:2018年 7月 2日(月)02時23分30秒
  私と契山館との出会いについて、数日前に書かせて頂きました。その中で、初めて水波霊魂学に接した時に、それまでに学んでいた宗教等との違いに驚き、すぐには肯定できなかったと申し上げました。

今回は、具体的にどういった点が肯定できなかったのか、そして、その点をどのように肯定するに至り、入会したのかについて、お話しさせて頂きたいと思います。

契山館が、他のどの宗教や神秘思想とも異なっている点は、この物質世界では肉体と重なっている幽体を鍛えることの重要性を掲げていることだと思います。

いくら宗教的教義を学んで、善行・愛行に励み、人格を高めたとしても、神伝の法を実践して、幽体を鍛えなければ、人間は霊的に進歩することはないということだと思います。

私の知る限り、このように幽体を鍛えることの重要性を掲げて、そのための指導法まで確立させた宗教は、今まで存在しなかったと思います。

それだけに、今までどこでも目にすることがなかった内容に、私は戸惑ったのですが、この今まで物質世界のどこにも存在しなかったということが、水波先生が霊媒として、高級霊魂のお考えを伝えておられるという証でもあったわけです。

契山館と出会った頃の私は、どの宗教団体・神秘団体・霊能者などとも距離を置いていましたが、それまでに学んだ知識を元に、日々、自らの愛のレベルを高めようと努めていました。

肉体を持つ身には、完璧な利他愛の実践が無理なのは分かっていましたが、少しでも利己愛の割合を減らし、利他愛の割合を増やそうとしていました。

そして、人生の幸不幸の分かれ目は、利己愛を選ぶか、よりレベルの高い利他愛を選ぶかという、一瞬々々の選択にあると考えて、その実践によって人格が高まり、霊的にも成長すると信じていたのです。

そうすれば当然、幽体も輝きを増し、死後は少なくとも下の世界に入ることはないと考えていました。
 

自由意思

 投稿者:なおいー  投稿日:2018年 7月 1日(日)02時00分38秒
  自由意思について、私はこのように考えています。
初心者ですので、間違っていましたらお許し下さい。

全ての人に自由の行使が許されているわけですから、自分自身が自由を行使するには、他の人の自由の行使を尊重する必要がある。逆に言えば、他の人の自由の行使を尊重するという前提で、自身の自由の行使が容認されると思うのです。

すなわち、自由の行使が、自らの意思の押し付けや、他の人の自由の行使の否定になってはいけないのだと思います。

私たちには、契山館を他の人にお勧めする自由があるはずです。自分自身が本当に良いと思うものを、他の人に勧める自由は、誰からも侵害されないと思うのです。

もちろん、相手の方には、それを受け入れる自由も拒否する自由もあります。拒否する相手の自由を尊重せず、強引に勧誘するようなことは、許されることではありません。

しかしながら、相手の方の自由を尊重するのみで、自らの自由の行使を放棄し続けるだけではいけない時があると思います。

霊魂同士では、幽体のレベルが近くないと、意思の疎通は困難でしょう。霊魂と肉体を持った人間とは、直接、話ができません。でも、肉体を持った人間同士なら、幽体がどんな状態の人とも、話が出来ます。

何と恵まれた状況なのでしょうか?今、話さないで、いつ話せるのでしょうか?

もっと積極的に声をかけ、契山館のことを話さなければと思う今日この頃です。
 

論理的帰結

 投稿者:おはこ  投稿日:2018年 7月 1日(日)00時34分52秒
  自由意思は重んじられる。

指導霊、守護霊はもちろん、霊質界の高級霊魂、そして神霊も尊重されます。

だから、いくら神伝の法を実践してください、今残されたトオライシェイである支部集会に参加してくださいと呼びかけても自由意思には関与できません。

だから、入会し基礎行を行い、支部集会に参加することを強制することなど絶対にできないんのです。

自由意思で神伝の法を実践しないと決めた人には誰もどうにもできないのです。

さて、ここで例え話。

修行者が私には自由意思がある、だから支部集会に参加しない自由があるし、神伝の法を実践しない自由がある。
しかるに、支部集会に参加しろ、神伝の法を実践しろなど失礼千万、そんなことを言う権利がたかが一修行者にあるのか。
わかってない。
私には支部集会に参加しない自由も神伝の法を実践しない自由が認められているはずだ。

あるいは、私には信教の自由がある。
真実が何かわからないうちは、こちらで奥伝をやっていようが他の宗教も試してみる自由がある。
私は自由意思を行使する。
自由意思を認める会がそれを認めないのはおかしい。
私は断固抗議する。

という方がおられたと仮定します。

ここで、ひとつ重要なことがあります。

これまで、私の拙い経験の中で、神霊はもちろんのこと、高級霊魂も守護霊も指導霊も当然に会も自由意思を認めたという話はたった一度も聞いたことがありません。

自由意思は重んじられる、尊重されるのです。

すなわち、支部集会に参加しない自由を宣言し、神伝の法を実践しない自由を宣言したということはなにを意味するのか。

自由意思は重んじられる、尊重されるのです。

その宣言を聞いた以上、指導霊も守護霊もその自由意思を無視することは絶対に出来ません。
絶対にです。
離れるしかありません。
本人のご意志ですから。

他の宗教との二股では入会できませんよとこれまでに何億回も言われています。
しかるに、私が二股をする自由を認めよ、私は宣言するというわけです。
指導霊も守護霊さえも一緒にいることは絶対にできません。

その後宣言をした人はどうなるでしょうか。

論理的帰結。

想像上の夢物語でした。

http://blog.livedoor.jp/direct3935/

 

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